『NO ノー』/ユーモアとしてのイメージ

2014年9月3日

NO

 

★★★(3/5)

 

ガエル・ガルシア・ベルナル主演&社会派ムービー。この組み合わせだけで観て損することはないだろう(確信)と鑑賞終了。『モーターサイクル・ダイアリーズ』のあの乾いた感じ(バイクによる土ぼこり等)の世界観が魅力的なように、1988年の荒れた感じ(画像的にも)のチリの世界観にもどっぷりとはまれることができた。

 

この物語は、独裁政権(YES派)を阻止すべく国民投票(referendum)を勝ち抜くために、与えられたTVの15分間の枠組みを使ってイメージ戦略を練り上げるレネという男(ガルシア扮するNO派に属する広告マン)の奮闘日記である。

 

 

 

人は他人と協力して目的を達成するためにはイメージを共有しなければならないが、その逆に人をだますためのイメージも存在する。「完璧なイメージ」を模索するにしても、メディアの生み出す世界観がいかに空しいものであるのかを、まるでステレオタイプのようにしか捉えていなかった僕は、その意識を塗り替えるべく新しい作品に出会えたと思う。

 

完璧なイメージ―映像メディアはいかに社会を変えるか

 

YES派を打ち負かすための戦術としてのイメージには2種類あって、一つ目は、敵の恐ろしい様子を表現しそれを払拭しようとするまじめなイメージ。二つ目は、未来に起きるであろう楽しいひと時をポップな音楽で奏でる明るいイメージだ。未来志向の広告マンでもあるレネは後者であるユーモアとしてのイメージを選んだ。

 

危険な目にあうと予想されながらも、レネがそれでもNO派に加わるという動機(ほとんど触れられていない)に関しては少し物足り無さを感じたが、彼が子供のオモチャ(電車)で遊びつつも物思いに耽るシーンなどは、どことなく不安を醸し出すという意味ではとても印象に残るシーンだ。会話のシーンが多い物語なだけに、沈黙がそれだけ引き立たされる。歴史を物語る映画だからこそ、そのような小さい沈黙が魅力的に映るのだ。だから僕としては、商業主義による戦術が思わぬ効果を生み出すという戦略ドラマというよりも、レネの沈黙さを見つめる心情映画としての趣が強い。歴史を語る上で(もしくはアナタの人生において)その魅力を他人に伝えるには、このような沈黙として手法が有効なのだろう。

 

またテレビのモニターを見るような映像(footage)がふんだんに映し出されるのもこの映画の特徴だ。NO派による集会の中で髭をはやした男が先導役となり、「美しき青きドナウ」のリズムを大衆と共有するその情景は、ただそれだけで美しい(予告の一部にこのシーンがあり)。そのさっそうとした雰囲気が、その後の臨場感あるストーリーへと繋がっていく様子も実にうまい。   YES、NO派の対立ばかりで、イメージがいかに民衆を包み込んでいったのかを直接描くシーンは少なかったが、泰然自若とした歴史を描いた場合、時としてユーモアとしてのイメージは哀愁に満ちたものとなる。 END

 

 

同じくガエル・ガルシア・ベルナル主演『モーターサイクル・ダイアリーズ』

今は無き恵比寿の映画館での鑑賞(私事

 

「美しき青きドナウ」つながりで『2001年宇宙の旅』より

 

町山氏による『NO ノー』解説

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