『マルティニークからの祈り』/ユーモアとしての映画論

2014年9月11日

マルティニーク

 

★★★+(3.5/5)

 

刑務所内で耐える物語と言えば、どうしてもあの『ショーシャンクの空に』を思い浮かべてしまう。その主人公であるアンディーはとてももの静かな男だが、絶望とも思えるような状況において希望を忘れぬ力は他の誰よりも強かった。人は絶望や不条理に対面した時にどのような心構えでいれば良いのだろう? もちろんそんな方法論があったとしても、それを身に付けたところで現実として役立つのかは分からない。ただ、物語から学ぶその信念の在り方には、苦難という壁を乗り越える以上の何かがある。

 

自動車修理工場を営む平凡な家族とその日常。妻ジョンヨン(チョン・ドヨン)はある事件がきっかけで、麻薬密輸の罪をおかしてしまい、カリブ海に浮かぶ島マルティニークへと送還されてしまう。それを知った夫ジョンベ(コ・ス)は幼い子供を養いながらも、妻を韓国へと呼び戻すべく様々な行動に打って出る…。これは2004年に実際に起きた事件を題材にした物語。マルティニークと韓国、その二つのかけ離れた場所に、難題が交互に降りかかる。

 

 

ジョンヨンが刑務所に入る際に囚人達が金網を叩いて歓迎(?)している様子や、意地悪な看守(悪顔)、また本来ならば彼女を助けるはずの人物が超極悪非道といった、もはや映画文法としてのあまりのステレオタイプなあり様には正直閉口したが(このツッコミが映画の面白さでもあるんですけど)、夫ジョンベが闘争する姿には全く飽きを感じなかった。特に所々に醸し出される彼の謙虚な性格から生み出される出来事のいくつかは、改めて人間の一面的ではない本質が一瞬でも垣間見えて素晴らしい(ステレオタイプなレビューではある)。

 

中盤、ジョンベはある男からちょっとした言葉を投げかけられる。「インディアンの雨乞いはなぜ成功するのか?」。その答えはここでは述べないけれど(ネタバレ程でもないが)、人は実質的なアドバイスよりもユーモアにも満ちた将来への展望を示されたほうが、やる気や生き甲斐を見出すことができるのだろう。

 

僕が妻ジョンヨン役のチョン・ドヨンを知ったのは同じく主演の『シークレット・サンシャイン』があまりにも印象的だったから。実際『マルテニィークからの祈り』を観に行った動機の半分以上は、このチョン・ドヨン見たさで占められていた。必ずしも大きな話題とはなっていないこの作品。観客のほとんどは同じ理由で観に来たのではないだろうか(根拠のない推測)。では『シークレット…』の何に対して印象深かったのか? それは絶望に満ちた状況の中で、チョン・ドヨンが演じて見せた「あの吹っ切れた」態度にである。

 

人間関係、ユーモア、社会批判、
そのどれをとっても僕にとって人生ベスト級の映画だ。

 

吹っ切れたというのは、必ずしも目の前の現状を超越したり自暴自棄に陥ったりすることではない。それは、ある種のユーモア的態度による自身への励ましである。もちろん、彼女自身がそれによって苦痛を乗り越えるような単純な話では無いけれど、つまりは『ショーシャンク…』のアンディーがこれから降りかかるべく懲罰(苦痛)を覚悟しながらも、椅子に腰掛けモーツァルトの音楽を感じるような、あの清々しさ、である。少なくとも物語を見つめる観客にとっては勇気を与えてくれるあの何かだ。

 

 

ただ『マルティニーク…』においてはその「吹っ切れた」感じは少々物足りなかった。実話としてのテーマが邪魔をしたのだろうか。   けれども妻ジョンヨンが空高く「叫ぶ」あの姿を見ると、やはり人間の想いはとても美しいと再認識できる。あのような人間が、ただいるだけで美しいと感じるために、自分自身もユーモアでありたいと願う。そう思えるだけでも素晴らしい映画ではないだろうか。END

 

 

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