★★★+(3.5/5)
作品を楽しむということは、もちろん物語自体を楽しむということだ。ただ、場合によっては作品の評価に関して物語外の要因に影響されることがある。(今観るならば)本作品はまさしくそのような作品である。悲観さ漂うこの作品。フィリップ・シーモア・ホフマン最後の主演作品というフィルターによって、更にその悲観さが全体に染み渡る。
原作はジョン・ル・カレによる作品。同じく彼の作品が原作となっているスパイ映画『裏切りのサーカス(リンク先の相関図が必読となっている。予習しないで観ると正直後悔する)』は人間関係の描写がかなり複雑であった。『誰よりも狙われた男』もプロットの複雑さにおいてかなり警戒したが、意外な程シンプルであった。その分「悲観さ」の以外の表現に評価すべきポイントを見出すことが難しかった…。
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以下ネタバレ
バッハマンによる戦略 ”To make the world a safer place.” は、もちろん憲法擁護庁、CIAによって共有されてはいたが、それを実現するための戦術に違いがあった。この物語はバッハマンによる地道な戦術を中心に描かれている。それは青年イッサを泳がせて監視し、背後にいるであろうもっと大きい黒幕を見つけることであった。
物語は、青年イッサと弁護士アナベルがバッハマンから逃れる視点から、バッハマンによるイッサの保護という視点に遷移していき、そこから物語は佳境を迎える。はじめは何事にも容赦のないバッハマンの姿が、後半につれて理性的な存在として目に映るようになる。その描写の変化が素晴らしい。そして憲法擁護庁の短絡的な行動やCIAの裏切りを目の当たりにした時にバッハマンの理性が爆発する。だがその矛先は自分自身に向けて、あくまでも心の中へ向けてであった。
「悲観さ」というのは、例えば、それこそ人が理解していても、それでもとめられないような不運な出来事を指す。この作品において考えるべき対象としての倫理観は、宗教的な対立によって生じてくるようなものではなかった。それは、もっと身近に存在するような、人間の根本的なねじれから生じたものだと認識すること。バッハマンの叫びはまさにそれを表現したものだったと思う。それがこの作品による社会への問題提起ではないか。 END
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