『ベイマックス』/映画論的モダンロボティクスの時代へ

2015年1月9日

ベイマックス

 

★★★(3/5)

 

 

ソフトバンクは昨年、Pepper(ペッパー)なるロボットを発表したが、その機能の売りとなるのは感情認識パーソナルロボットとしての存在だ。子供の頃に夢見たロボットがこうしてじわじわと自分の住む世界に浸透してくる感覚。「この感覚」は純粋な好奇心の塊ではあるけれど、例えば空間を通して音楽が購入できる世界を全く想像できなかった(しなかった)ように、ロボット到来による社会の変化も全く予期できないものとなるだろう。ただ、一度インターネットによる変革を体験した私たちにとって、必ずやってくるであろう未来への変遷をただただ過ごしていくというのは実にもったいない。「この感覚」は映画においてどのように養っていくべきか。

 

 

 

 

僕が映画において、ロボットという存在を意識しだしたのは『ターミネーター』(1984年)や『ロボコップ』(1987年)のような強い存在からの影響だ。前者は改造人間で、後者は未来からやってきた使者だ。ただ、現代(いま)からこうしてそれら作品を眺めてみると彼らは純粋なロボットであることに変わりはないが、たんに人間の姿を模倣した存在だと言うこともできる。実は強い人間が描かれていたに過ぎないというのが僕の持論だ(もちろん面白さとはまた別の議論だ)。

 

 

彼らはたんに強い人間であることの模倣だ。

「ターミネーター」 ロボット1.0

ターミネーター

 

 

そして強いロボット(人間)から悩めるロボット的人生の時代へ。この変遷はやっぱりネットの存在が大きいと思う。仮にインターネットがまだ一般的でない時代だったとしてもサイバー空間としてのネットワークが人間と繋がりはじめる。その主たる物語が『シミュラークルとシミュレーション』によって喚起された『マトリックス』(1999年)だ。コマンドプロンプトを彷彿とさせる緑色のコードがネオによって見出された時に束縛からの解放を唱っていたはずが、むしろ(僕的)映画史においては完全に悩ましい人間の存在論としての一面が描かれてしまう。世界は人々の想像でできている。少なくとも相対化でしか語れなくなった世界が出現する。この悩ましい姿としての世界観は、たんに楽観的(もしくは悲観的)な未来像を描かない。完全に自己言及的で終わりのない世界だ。こうしてモダンロボティクス(完全なる僕の造語だ)の時代がはじまる。

 

 

悩ましい姿のロボットによって人間とモノとの境界がえぐりだされる。

『A.I.』(2001年) ロボット2.0

AI

 

 

2005年(日本では2007年)に上梓された『ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を超えるとき』の世界観がいよいよ人口に膾炙しだした。映画史におけるその発端は『アバター』(2009年)だ。セカンドライフ実現による創造とともに3D映像という現実的な体験も準備される。モダンロボティクスの世界が本当にやってきたという感覚は忘れられない。更に去年の新しい記憶で言えば、ナノロボットによって覚醒された『Lucy/ルーシー』、チューリングテストを完全にパスしたであろうOSの虜になった男の話『her/世界でひとつの彼女』、そして人格をコンピュータへと移植すべく脳のリバースエンジニアリングを描いた『トランセンデンス』などがある。強いロボットの時代からオントロジーの世界へ、そして近未来に想定されている技術を土台とするような物語。こうして観てくると時代が著しく変遷していく様子(感覚)を物語によって確実に認識することができる。

 

 

悩ましい境界の時代から、感情が世界と繋がる時代へ。
『her/世界でひとつの彼女』(2013年) ロボット3.0

her

 

 

というわけで『ベイマックス』を一行で俯瞰してみる。この物語にはロボット1.0から3.0その全てが小さい物語として内包されているような完璧さが備えられている。ただ、小さな物体が塊となり、その塊が自由に変化すればするほど魅力が失われてしまうように(抵抗なければ物語はなし)、このストーリー自体の起伏さも小さな物語によって削ぎ落とされてしまったように思える。万能感は万能ではないのだ。小さなカードに内蔵されたソフトウェア(Pepperに提供されている開発SDKと同じようなものだ)によってベイマックスの仕様は限りなく無限に変化するが、あのスピード感は1.0から3.0を巡る映画史の “重さ” をもあっさりと覆してしまう。もちろん伝統なんて必要ないが  “軽さ” を観てもつまらない。また、ヒーローの物語なのか、感情を主体に見据えたドラマなのかというネット上で見受けられる問題。これらを二項対立として捉えたとしても弁証法として全く活かし切れていないという批判も、創造力は小さな力の寄せ集めであるという流行からの反動か…。『ベイマックス』は語りすぎたのだ。結局最後に僕が観てみたいと思うのは、ユニコーンのような “沈黙さ” 、ただそれのみである。 END

 

 

 

 

追記


 

 

 

2015/02/10追記

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