記憶の描かれ方について / 2015年1月の映画ログ

2015年1月22日

スタンドバイミー

 

未だ僕や私といった文体が定まらぬままに、映画ブログを始めて5ヶ月目。記事数やPV(ページビュー数)はまだまだ少ないけれど(それでも順調に増えてきた)、ここで気楽な映画鑑賞日記も残していきたい。劇場で観たがレビューをしていない作品や、TVやDVDでの視聴作品も含まれている。もし、3年…5年…とブログを続けていけるのならば(お前の気持ち次第だ)、世相を含めての映画カルチャーブログになることを夢みて記す。

 

2015年1月の映画鑑賞ログ

『時をかける少女』(1983年)★★★★(TV)
『スタンド・バイ・ミー』(1986年)★★★★★(TV)
『セントラル・ステーション』(1998年)★★★★(TV)
『ホビット』3部作★★★★
  第1部 『ホビット 思いがけない冒険』(2012年)(TV)
  第2部 『ホビット 竜に奪われた王国』(2013年)(DVD)
  第3部 『ホビット 決戦のゆくえ』(映画館)
『トラッシュ!-この街が輝く日まで-』★★(映画館)
『ペパーミント・キャンディー』(1999年)★★★★★(DVD)

 

『時をかける少女』(1983年)

 

もはや同名アニメ作品のほうが古典となっているような気がするが、原田知世の無表情さはアニメでは到底到達できないであろう領域だ。その真髄はともかくとして、切ない音楽による風景描写は破壊的に涙腺を刺激する。時間軸を巧みに活用した映画としても、やはり観ておくべき作品の一本だ。主人公による意識・無意識の違いはあれど、その基本構造は「失敗(事件)を克服(解決)するために、主人公は時間をさかのぼる」こと。去年の作品でいえば『オール・ユー・ニード・イズ・キル』や『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』が印象的だ。その中でも『時をかける…』は、極めて内面的な雰囲気を漂わせる作品だ。物語のキーアイテムはラベンダーの香り。そのアイテムに象徴されるように、実態のない青春における不安感のようなものが、さらに内面描写を加速させていく。

 

 

 

 

『スタンド・バイ・ミー』(1986年)

 

 

2年に一度は観ているような気がする。現在、原作は新潮文庫において『スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 』として出版されている。原作のタイトルは秋編で『ザ・ボディ』。一方『ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編』の春編のタイトルはご存知の通り『刑務所のリタ・ヘイワース』(『ショーシャンクの空に』)だ。その副題は「春は希望の泉」(Hope, Spring, Eternal)。素晴らしい響きを持つ言葉だ。

 

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)    ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

 

私は『スタンド・バイ・ミー』の冒頭を観ると、決まって村上春樹※1の『ノルウェイの森』を思い出す。小説の冒頭、主人公の「僕」は、着陸をした飛行機の中で偶然ビートルズの『ノルウェイの森』を耳にする。そのBGMがキッカケとなり彼は記憶を呼び戻す※2。共通項は、過去がこれからはじまるという期待感。『スタンドバイミー』に戻ろう。夜、少年達が森の中でキャンプをし、交代で見張りをするというプロットがある。早朝、主人公の少年ゴーディは線路の上で牝鹿(めじか)と出会う。ただ彼はその光景は仲間には語らずに、心の中の記憶として保管する。それはどうしてか? 小説ではこのように描かれている。「おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい」。彼は人生のトラブルに巻き込まれたような時に、旅で出会ったその鹿の風景を思い出す。記憶が彼を支える物語でもある。

 

※1村上さんのところ」最近こんなサイトが立ち上がった。

※2パーソナルソング』(2014年)というドキュメンタリー映画がある。

 

 

 

『セントラル・ステーション』(1998年)
『トラッシュ!-この街が輝く日まで-』

 

 

思いを伝え記憶をつなぐ。その最たるアイテムはやはり手紙だ。ただ『セントラル・ステーション』にはそのようなアイテムが他にもびっしりとつまっている。文字が書けない人のために話を聴き、代筆の仕事をしていたドーラ。彼女は母親を亡くした少年ジョズエに出会う。かくして二人は少年の父親探しの旅に出る。旅の途中で手に入れた何気ないアイテムが、人生の記憶となるであろうシーンなどには、さすがにグッとくるものがある。記憶が切なく思えるのは、常に後になってのことなのだ

 

『トラッシュ』もブラジルが舞台だ。男が警察に追われているシーンから物語がはじまる。あるマンションの中で逃走劇が繰り広げられるが、その建築物の構造がとても特徴的で「〜」のような曲線でとても長い作りとなっている。『セントラル・ステーション』でも重要な舞台となって登場していたから驚きだ。「ブラジル 有名建築」のように画像検索を試みるもなかなか出現してこない…。他の映画で3度目に見かけたら本気を出そう(どうでもいい話)。ここは日記のような場所だから思いついたことをそのまま言葉で表現すると、この作品はコナン達のいない実写版「名探偵コナン」(ブラジル編)のような映画だ。つまりは謎解きストーリー。疾走する子供達の姿はいいとしても、いまどき暗号と聖書をつなげるトリックはいかがなものか…。あらかじめ決められたパズルのようなストーリーが、数珠玉のようにぴったりと連なっていくような展開。 “小さな希望の断片(カケラ)” が置いてけぼりにされて、どうしても記憶として残らない。これが僕の見解だ。記憶を活かすのは難しい。

 

 

 

『ホビット』3部作

 

 

まさに壮大な記憶の物語。第1部がテレビで放映されていたのだが、気が付くと映画館に辿り着いていた。このような数珠玉式人生は素晴らしい。僕は『ロード・オブ・ザ・リング』のファンというわけでもないが、『ホビット』には映画と神話というテーマが限りなく内在しているという点において異論はない。一作品自体が長いから、シーンを読み解く上でかなりの記憶力が試されることに間違いない(だから僕みたいに一気に観るのがおすすめだ)。けれど物語は意外と単純だ。故郷を追われた者が旅に出て、様々な苦難を乗り越える。彼らのアイデンティティクライシスに、愛や欲といった出来事が積み重ねられていく。神話の形態要素が、行動や気持ちとなって現れる。自分の書棚を思い出し、よくある人生のハウツー本がもし10冊以上あるのなら、この映画を分析してみることもおすすめする。3×100冊ほどの価値はあるだろう。神話は世界と人をつなげる記憶のようなものだ

 

 

 

 

 

『ペパーミント・キャンディー』(1999年)

 

下記動画は「YouTube」自体のサイトで見られる。

 

観るというToDoリストにずっと残っていた作品。これでイ・チャンドンによる監督作品は『グリーンフィッシュ』を残すのみだ。はじめに、彼の作品はどれも人生ベスト級の作品であったことを言っておく。この作品もまた圧倒的な存在となった。物語を活用した人生の仮想実験。「時かけ」と同様に時間軸を活かした物語として後世に語り継がれるであろう作品だ。過去に戻れば戻るほど、主人公の人間性がなぜか高みを増していくという奇妙な構図が、実にうまく描写されている。

 

「祈り(キリスト教)」を宙で受け流す主人公の男ヨンホの姿。その情景に人はなぜこうも感化されるのだろう。人生の土台が失われる。または土台が欺瞞のようなものとして感じられてしまった時に、人は世界に対してどのような態度で接していくのだろう? 後に『オアシス』(2002年)や『シークレット・サンシャイン』(2007年)へと引き継がれたテーマをあらためて確認する。ペパーミント・キャンディーという小さな存在が、あれほどまでに美しく見えるというだけでヨンホの人生は美しい。記憶の泉はやはり《物語》の中にあるのだ。 END

 

 

人生の土台が欺瞞のようなものとして感じられてしまった時に、人は世界に対してどのような態度をとるのだろう(べきか)?

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