『二重生活』。

2015年1月29日

二重生活

 

★★★(3/5)

 

 

男女の関係ほどありきたりなものはないけれど、そこに差異がある限り物語は作られる。《ある日、私の幸せな世界は崩壊した》が、何十億分の1にしか過ぎないその小さな世界に、他人が興味を抱くのは難しい。だからこそ悲劇が挿入される。ただ、映し出される街の風景がとても印象的で、小さな世界の苦悩などまるではじめから存在しなかったかのようだ。

 

 

 

 

ロウ・イエ監督の作品を観るのは本作品が初めてで、『スプリング・フィーバー』という作品こそは知っていたものの、今まで完全にスルーしてきた監督だ(いずれ過去作品を観たらまとめて感想を書きたいと思う)。

 

まずは、社会学者の宮台真司氏がラジオのとある番組で『スプリング・フィーバー』を絶賛しているのを聴いてみよう※1。彼がその作品を評価するポイント、それはずばり熱気だ。その場所・その時代でしか語ることのできない何かが物語を通して表現される。むしろ、そのような感覚で語られるべきだ。例えば、(日本のような)成熟した元気のない社会に「いかに抗う」べきか? 物語によって指し示されているのは、その時代の「フィーバー感」だ。「あの頃だからできた」こと。彼(宮台)は『二重生活』に対しても同じような感想※2を抱いていて、恋愛としてのカオスを、自身の変遷における「懐かしさ」として物語を捉えている。

 

 

※1 TBSラジオ 荒川荒川強啓 デイ・キャッチ!  2012年12月17日

2010年、日本はどうしてだめなのか? 映画から徹底分析

 

※2 宮台真司告白「色情症でした」、映画「二重生活」トークイベント。

 

 

あらためて『二重生活』に対する僕の印象を述べる。この作品が魅惑的な作品として思えるのは(もちろん面白さとはまた別の次元だ)、ずばり物語によって紡ぎだされる奇妙な多幸感に違いない。不倫や死といったテーマが、子供たちの歌う第九のシーンと相まって、人生におけるカオスとして描かれる。そのような異質な描写によって人生の苦悩を吹き飛ばす。『キネマ旬報 2015年1月下旬号』のインタビュー記事(「映画を見ること、聴くこと」)の中で、ロウ・イエ監督は次のようなことを言っている。物語の最初に映し出される都市の「空中撮影」。それは「魂が身体から抜け出ていく」ことを意味する(ちなみに中国語の映画タイトルは『浮城謎事』である)。

 

 

空中撮影

 

 

まるで離人症のような風景のショットに、現実感が疎外されてしまったのか。それとも日常としての描写(性愛)に新しい何かを感じとることができたのか。これら二つの感覚描写が、作品を見極める上での分かれ道だとしたら、僕にとっては前者の方が極めて印象が大きいだろう。ただ、そんなことはもうどうでもいいのだ。こうしてロウ・イエ監督の思惑を辿ろうとすればするほど、幸せとは何かを考える。これもまた映画の見方だ。 END

 

 

その場所・その時代の《物語》によって、 
人は豊かさをどのように感じとるのだろう?

 

おいしい生活 

 

 

見ることだけが、映画ではない。
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