『おみおくりの作法』/孤独だが素敵なボウリングの世界

2015年2月13日

おみおくりの作法

 

★★★+(3.5/5)

 

 

主人公のジョン・メイは民生係として孤独死した人の葬儀をおこなう仕事をしていた。ジョン自身も孤独な日常生活を送っていたが、そんな彼が仕事を通して見てきた人間関係とはなんだろう? 無縁社会の中で幸せとは何かを考える。

 

 

 

 

孤独な個人への回帰

 

無縁社会」という言葉は、2010年にNHKによって放映された番組(「無縁社会 -無縁死3万2千人の衝撃」)から生まれたが、人間関係の希薄化による孤独死、特殊清掃業者の仕事などその反響はやはりとても大きかった。一方、そのような一連の番組に対して「無縁社会」キャンペーンの恥ずかしさといった声も挙げられる。それは、終身雇用といった古き良き制度を理想(ノスタルジア)とするような番組構成の在り方に、異を唱える指摘でもある。我々が「自由経済システムをとった以上」そのような有縁としてのコミュニティ回帰には意味がない。「個人の自立を支援」するような社会作りを目指すべきであるという考え方だ。

 

『おみおくりの作法』は上記のような問いを喚起していくような深刻な映画というわけではないが、誰もが無縁となる可能性があるのだから、極めて社会的な話でもある。ただ、ジョンのお人好し(過ぎる)な性格、『イコライザー』の主人公にも負けずとも劣らない几帳面ぶりなど、彼の孤独な世界は、時としてユーモアな世界として描かれる。孤独だが素敵なボウリングの世界だ。たんに孤独からノスタルジアへの回帰を促すような物語ではないのだ。

 

 

ボウリング人口は減っていないのに、社交としてのボウリングが激減したのはなぜなのか。(柏書房のHPより抜粋)孤独な個人への回帰をソーシャル・キャピタルのもとで考える。

 

 

主観的な幸福 

 

残されたモノを頼りに、故人の人生を辿っていく。このような探求の物語としては、去年観た映画の中では『リスボンに誘われて』がとても印象的だが、『おみおくりの作法』も基本は同じだ。過去を見つめることは、いまをも捕らえる。現代の人間描写に重きを置いている点においては、ジョンの行動のほうが現実的であるのかも知れないが、その反面、主観的な幸福(subjective well-being)の物語であったことは確かであろう※1。そのことは、この映画においてまさに劇的な方法で描かれる。本当に上映終了後、人で埋め尽くされたシアター内での雑多から、穏やかな言葉がかすかに聞こえる。いい笑顔だったね。激しく同意だ。バカ正直でもいいから素直に生きていこうと心に誓う。恐れなくてもいいのだ。究極の孤独などまだ誰も体験していないのだから。 END

 

 

 

幸福研究には「主観的幸福(subjective well-being)」と「客観的幸福」がある。下記の本は主観的幸福について取り上げている。※1ジョン・メイの生き方は、客観的には誰にとっても不幸せにしか見えないが、主観的な幸福という指標があるということもまた事実である

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