『きっと、星のせいじゃない。』/理想を排除することによって運命の意味を知る

2015年3月6日

きっと、星のせいじゃない

 

★★★★(4/5)

 

 

ここ最近、人生観がたっぷりつまったような作品ばかりを見ているけれど、そもそも一回限りの人生においてどんなに素晴らしい生き方を提唱されたところで、それが本当に役立つのかどうかは誰も反証することはできないだろう。幸い映画においてそのような説教的な作品は少ないけれど、例えば子育ての方法だとか億万長者になる方法などが滑稽なものとして感じられてしまうのは、一回限りとしての認識の在り方には、日常における価値観とはまた違った様相が見られるからに違いない。その方法を試してみたところで、心底成功したと判断できる者などいるのだろうか。

 

 

 

 

昔「Sky is the limit」という言葉を知った時に、そのカラクリに関心した。直訳すると「空には限界がある」だ。いやいやそんなことはないだろう。だからその言葉の真髄は「限界はない」という逆説で成り立っている。この映画のタイトルである『The Fault in Our Stars』も同じだ。星に過ちを追及したところで私たちは変わることができるのだろうか? 運命はとてつもなく大きなものだ。同じく病気と戦った人々を描いた本『人間をみつめて』の中で神谷美恵子はパステルナークのある詩を引用している。「宇宙の愛を自分に引きつけ」。日常の中で宙を見上げるということ、それは運命の中で生きねばならないことを暗示する。

 

 

鬱は癌の副作用ではなくて、死に対する副作用としてやってくる。冒頭から伝えられる主人公の少女ヘイゼルの考え方はとても分析的だ。自分のいなくなった世界を想像し、自身を「爆弾」という言葉で言い表した彼女の姿は、全てが無になるという冷めた唯物論からやってくる。アンネ・フランクを失った父親もしかり、だからこそ自分がいなくなったあとの現世の人達への畏敬がつのる。葬式は生きている人達のためにある。死は生きている者たちの問題という見方が彼女を苦しめる。こうしてみると分かるように、死そのものが恐怖ではなく、人間は死を知っているということが問題なのだ。理想の人生(死)は何かという問いかけが、逆に人を苦しめる。

 

 

 

理想の物語を排除する

 

けれども安心しよう。この物語にはそんな理想を排除した上で、どのように人は生きていくのかが描かれる。それは一回性の現実を目の当たりにするヘイゼル達の言動や行動に現れる。旅をする彼女達の姿はやっぱりとても美しい。「見る前に跳べ」といったような行動主義や経験に重きをおく実用主義は、物事の背景には真理があるという前提を否定することからはじまったが、この作品は死に対する理想の物語を排除することによってはじまった。運命を受け入れるとはそういうことだ。

 

 

だから一度きりの人生において、どのように生きるべきかを問うのは論理的ではない。その人の生き方(行動)から、何を考えたのかが問題となるからだ。虹のようなきれいな風景は行動した後からやってくる。人生において傷つくのは避けられないが、傷をつけてくる相手を選ぶことはできる。これが「運命」の中で「主体的」であるということの証だ。『アメリカン・スナイパー』はこの2つの存在が乖離してしまった人物の苦悩を描いたが、『きっと、星のせいじゃない』は運命と共に生きる者をみせてくれるだろう。 END

 

 

 

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