『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』/とにかく会話に対して機敏なカタルシス

2015年3月31日

imitationgame

 

★★★★(4/5)

 

 

人は当たり前だと思っていた風景にふと立ち止まざるを得ない時がある。そのような時に「深く」考える。例えば話すという行為を考える。人は何故会話をするのだろう。そしてその媒体となる言葉も不思議な存在だ。言葉は音でもあり、広く捉えれば紙に染み込んだインクもまたその一つだ。そのような状態がもし全て数値に置き換わるとしたら機械は意味を作りだせるのだろうか。チューリングはそのようなことをずっと考えていた人だった。いや、この映画を見る限り彼は考えるのではなく、まさに周りの風景に同化することのない(出来ない)人物だった。コンピュータの元を考え出した天才とは結果的にそのような存在だったのだとつくづく思う。

 

 

 

 

以下多少のネタバレあり。

(この作品は史実を全く知らない方が楽しめると思う)

 

 

イミテーション・ゲームとは

 

「イミテーション・ゲーム(The Imitation Game )」は、チューリングが哲学雑誌『マインド(Mind)』に寄せた論考『計算機構と知能(Computing Machinery and Intelligence リンク先はPDF)』(1950年)の中で使用した言葉だ。思考実験を示した言葉で、日本では「チューリング・テスト」と呼ばれることが多い。これは機械が知能を持つとはどのようなことかを考える一つの判断基準のようなものとして提示された。

 

論考のはじめに示されるゲームの大まかな内容はこうだ。

 

一つ目のゲーム。壁の向こうには二人の男女がいる。あなたはその二人に向って質問し、そのどちらが男かを当てる単純なゲームだ。ただし、男は女のように装い質問するあなたを騙そうとする。質問のやり取りもタイプライターを使い印字された文字のみでおこなわれる。あなたはどのくらいの頻度でその男を女として認識してしまうだろうか?

 

二つ目のゲーム。もし、その男が機械に置き換わったらどうだろう。その機械は人間の女であるかのように振る舞う。そしてあなたは一つ目のゲームと同様にどのくらいの頻度でその機械を人間として認識してしまう(間違える)だろう…。

 

これら二つのゲームの本質は、そのどちらもあなたの間違える頻度が同じような時に、機械は知性を持ったと見なせるのではないかと提示したことだ。つまりこれは機械は人間の真似をできるのかという疑問であり、「機械は考えることができるか?」という問いかけの発端であった。

 

映画の物語においては、チューリング(ベネディクト・カンヴァーバッチ)と刑事との間にこのイミテーション・ゲームのような会話が象徴的に描かれる。チューリングは同性愛の罪として捕まり取り調べ室の中にいる。先のゲームはどちらの人間が男女かを言い当てる内容であるが、そのゲームの構成はやはりチューリング自身が性に対して敏感だったからではないかという憶測もある。

 

 

対話の中の思考

 

とにかく会話に対して機敏な映画だ。チューリングにはアスペルガー症候群の特徴があったと伝えられているが、この物語においても彼のコミュニケーションの不器用さは痛いほど伝わってくる。暗号解読をするチームの仲間がチューリングに対して「昼食に行くよ」と誘うシーンがある。しかし彼はその言葉をそのままにしか受け取れない。つまり彼にとってその言葉はたんに「行く」という情報でしかなく「一緒に行こう」という誘いの言葉ではなかった。日常会話の出だしにおいてよくある言葉、例えば「今日は天気がいいですね」という会話の目的が本当に天気の話をしたいということではないように、言葉(会話)には常に恣意的な一面が存在する。これを言語行為論におけるコンスタティブ/パフォーマティブ(事実確認的/行為遂行的)な関係という。チューリングにとって「昼食に行く」という言葉はまさに文字通りのコンスタティブな情報でしかなかった。

 

そんなわけだから、チューリングは手伝ってくれた仲間に対してもコンスタティブな言葉でしか言い返せなかった。天才だが(かなり)不器用な一面だ。そんな彼を大きな態度で包んでくれたのが、ジョーン (キーラ・ナイトレイ)の存在というわけだ。この映画を観ればきっとあなたは《ありがとう》という言葉の意味をチューリングと共にあらためて知ることになるだろう。そんな他人とは関わりにくいチューリングではあったが、頭の中だけで理解しようとしない物事に対する彼の姿勢は素晴らしい。元々常にモノを作り続け、行動で知を体現していくような人物だったが(マラソンも当時のオリンピック選手に匹敵する程速かった)、仲間にリンゴを渡し《ありがとう》を伝えるシーンなどには、後の展開(史実を知るほどに…、この自伝映画においてかなりのカタルシス場面であったことは確かなのだ。たとえ脚色であったとしても。考えるということは、きっとあのようなことなのだ。 END

 

 

 

チューリングの代表的な論考4つ(もちろんネットを探れば多く公開されている)と、それぞれに対する解説がコンパクトに記載されている。映画の中ではひどくコミュ症な彼だが、このような論考を眺める限り、むしろ彼はコミュニケーション(思考)に関して他の誰よりも考えていたと知ることができる。 

 

 

チューリングに対する作者の思い入れが感じられる本だ(付録に自作の小説が載っている)。映画においてチューリングの部屋に葉っぱのような絵が飾ってあったが、彼は晩年において生物の発生モデル(チューリング・パターン)を計算する研究などをしていた。

 

 

言葉と情報という観点からチューリングを知るのならばずばりこの本だ。彼は暗号解読の仕事をする前に、哲学者ウィトゲンシュタインの講義に参加し議論をしている(1939年)。

 

 

追記


 

第87回アカデミー賞 脚色賞

 

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