『レジリエンス入門』/湧き上がった感情の捉え方

2016年9月24日

レジリエンス入門: 折れない心のつくり方 (ちくまプリマー新書)

 

 

「主観的だ」という文言は悪いイメージを持つけれども、あらゆる物事は主観的にしか捉えられないと思うことも重要だ。レジリエンスという言葉を調べてみると特にそう思う。人は解釈を通してしか物事を見ることができないが、そう思うことによって目の前の困難に対しても、違った視点を持つことができるようになるのだ。

 

例えば「当然」「べき」「ねばならない」という自己の主張は、理想を思い描くにあたっての強い主観であると見なしがちだ。しかしそのような心構えの土台には、たんに「世界は倫理的であるはずだ」という陳腐な客観性の精神のみが横たわっているに過ぎない場合がある。自分の理想を追求すればするほどに、入れ替え可能な別の感情を取得できなくなる。それはレジリエンスにとっての弊害である。

 

もちろん確固たる意思も必要だ。「目的(Goal)」と「目標(Objectives)」を意識するとはそういうことだ。これは「戦略(Strategy)」と「戦術(Tactics)」の関係と似ている。人生にはなるべく大きな目的を持てということ。その目的を叶えるために、マイルストーンとしての目標を定める。日常には常に挫折が伴うが、目的と目標を明確化しておけば常に「軌道修正」という意識も生まれる。この軌道修正のためには、もちろん「自分は変われる」という意識が必要だし、解釈次第で世界の見方が変わるという思想(生き方)も問われるだろう。

 

「主観による世界への態度」を意識せざるを得ないという点において、最近観た映画『怒り』はとても良かった。ある残忍な殺人事件の犯人を巡って、登場人物達の想いの中で、恋人や友人に対してある葛藤が生じる。人は人をなぜ信じるのだろうか? 他人を信じるということがどんなに難しいことかを考えさせてくれる映画でもある。人は結局主観的な世界から抜け出すことはできないが、この物語においては、「自己は物事を主観的にしか捉えられない」という思いを相手と共有するということが唯一の救いとなるのだろう。そのような考え方は自分自身という他者に対してさえも重要なことなのだ。湧き上がった感情を制御することは難しいが、その感情を解釈することはできる。それはレジリエンスとしての作用でもある。

 

 

映画『怒り』から 坂本龍一「M21 – 許し forgiveness」

 

 

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