『永い言い訳』/自己らしさと弱さについて

2016年10月16日

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自己の自己らしさを認識できない男の物語。正確に言えば、大抵の人間はそんなことを気にしていないから、生活の隙間において「自己らしさとは?」という問いかけに、心を奪われてしまったような男の物語だ。

 

 

 

 

主人公の衣笠幸夫は、人との関係の中で見られる自分を拒絶するような人間だ。小説家としての彼(津村啓として生きている幸夫)がカメラの前で取材を受けているシーンが印象的で、世の中の事象がまるで張りぼてのように造られているということが、彼自身の他者に対する見方をも変えさせているのだろう。ちょっとした親切心だとかは大嫌いな人間に違いない。酒が入ると本音が出る。それゆえに、幸夫が他人の子供を「本当」に助けてやりたいと思うような場面にパンチが効いてくるのだ。

 

マインドフルネスなしからぬ自己の自己らしら(authenticity)というのは、結局「他者」との関係の中でしか生まれてこないものなのだろうか? 彼はそのような問いかけに終始悩まされているのだ。幸夫は弱さというものが真の強さの裏返しであるということを知っている。自己の世界が一度でも崩れ去ったような時に、弱さ(vulnerability)の意味を「知る」ことができる。それは他者の存在を圧倒的に感じる瞬間でもある。

 

だからマネージャーからの「ちゃんと泣きましたか」という言葉は、まるで「今あなたはあなた自身としての存在ですか?」と問いかけているようにも聞こえるのだろう。それは他者なしに自己自身であろうとする限り答えられないような問いかけだ。幸夫が妻の過ごした時間を共有するということ。それが彼自身でもあるということ。他者を愛し、他者の時間を生きるということでもある。そのことが痛いほど良くわかる映画だ。

 

 

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