『ヒトラーの忘れもの』/歴史(history)と物語(story)

2017年1月1日

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どんな人にでも、帰る場所はあるのだろうか…。1945年、舞台はナチス・ドイツの占領から開放されたデンマークのとある海岸。そこにはドイツ軍によって埋め込まれた多くの地雷がまだ残っていた。地雷を除去するために、ドイツの少年兵が奴隷のごとく駆り出されていく。少年たちを統率するのは、祖国を愛するデンマーク軍のラスムスン軍曹。彼は少年たちに対して、地雷を撤去したあかつきには、祖国へ帰還をさせるということだけは約束をしていたのだが…。

 

 

 

 

史実が物語となって、「この私」に対して倫理/道徳の問題を叩きつけてくる。歴史を題材とした作品の特異さは、過去の惨状を追体験することだけではない。過去の人間、たとえ想像上の人物だとしても、彼ら/彼女らの感情そのものが、この時代、この私の物語として実存化してくることがある。それは、どういうことか?

 

歴史(history)と物語(story)という2つの言葉は、ギリシャ語のヒストリア(historia)が語源で、近代初期まで同じ意味で使われていたという。やがて、客観的な事実を語るべく「歴史」と、個々人が語ってみせるような「物語」に分かれていった。

 

なぜ、人間生活は、それぞれ物語を語り、なぜ、歴史は、多くの活動者と言論者をその中に含み、しかも触知できる作者のいない人類の物語書となるのか

 

これは思想家であるアーレントの問いかけだ(『人間の条件』第5章 活動)。結局彼女が主題としていたことは、歴史の総体のみで語られてしまうような人間像の否定であった。数百万人ものユダヤ人を強制収容所に移送したアイヒマンは、決して「悪人」ではなかった。あくまでも凡人でしかなかった彼が、結果的に悪を遂行してしまったのだ。少なくとも、そのようなフレームで歴史を捉えるということが重要だ。彼自身の動機は、我々の歴史に対する目的、つまりたんに「アイヒマンは悪人だった」という帰結からは、切り離さなければならないからである。

 

倫理/道徳的であることを目的に描かれるのではなく、「物語」は、「この世界の片隅に」生きているような、個々人の体験された出来事によって構成される。たとえ今いる時代からかけ離れていたとしても、そこには歴史の目的から切り離された、人間の動機がある。それゆえに、本作品の英語版のタイトルである『Land of Mine』(デンマークでは『Under sandet』)でつながる軍曹と少年たちの生きるよすがが、この「物語」全体に垣間見えるのだろう。

 

 

 

参照文献


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