『ブラインド・マッサージ』/美学について

2017年1月29日

ブラインドマッサージ

 

 

風景が見えないことに絶望する少年がいる。他者の評価に頼る男を、虚栄心として拒絶する女がいる。美への評価は他者の影響をまぬがれない。そして、「見る」という感覚は「美」の概念や感覚に大きく関わってくる。人生において「美」とは、一体何なのだろう?

 

 

 

美を追求するということは不思議なことだ。例えば機能美としての見方がある。美術館に飾られているシンプルで美しいフォルムのヤカンがあったとする。しかしそのヤカンが、たんにドイツ工作連盟の歴史を語るものであったなら? そのヤカンにはミニマリズムといった内在した美しさはなく、たんに大量生産をする上での合理的なフォームにしか過ぎないだろうという視点も湧き上がる。美の感覚を研ぎ澄ますためには、一面的にしか語ることのできない美の両面性を受け入れるということだ。

 

だから、美には道徳としての感性も関わってくる。何かを感じるということは、経験を語るということでもある。脳をいくら観察しても自己がどこに存在するのかが分からないように、モノをいくら観察しても、それ自体から美しさは感じられない。美はその人の経験に携わり、その人の持つ言葉(心)によって構成されるのだ。世界の美しさは、時に院長のシャーのように詩を朗読することによって表現される。

 

確かな美を前提とした生き方は窮屈だ。人はプラトニックであろうとするがゆえに苦悩を感じてしまうのならば、一層のこと変化を受け入れてしまうということが、人生の美学においても大切なことだ。様々に交錯していくマッサージ院の彼ら彼女らの人生模様が心地よく感じられるのは、美のイデアを追求することなく、自己の物語の内に規範を求めるがゆえの自由さがあるからだ。そこには人生を謳歌する姿が垣間見えてくる。そしてそれは、どんな人にでも当てはまることだろう。

 

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