映画『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』永劫回帰の物語

2018年12月13日

 

もし、ある男女の関係を土台にした脚本作りにおいて、「運命」としてのお題が与えられたとしたら、あなたなら一体それをどう表現するだろう? 映画『メッセージ』(過去のブログ記事)には、人生を一度限りの、しかし永遠に続くものとして強烈に感じてられてしまうような、主人公のとある意思の姿が写しだされる。そこには、不可避である負の感情と共に、相反する人生の喜びをも認識してしまうような奇妙な印象があったが、この『ア・ゴースト・ストーリー』の中にも、過去と未来の物語において、ある不思議な感覚が存在する。

 

まさに「永劫回帰」の思想を体現しているような作品だ。永劫回帰の考え方は、何度反芻しても理屈で考え抜くことは難しい。幸福な瞬間はいつでも何度でも歓迎だ。しかし、絶望的な体験をしたような時に、人はそれをどう人生の物語に吸収したらよいのだろう。そのような生が永遠に繰り返されるという志向性。永劫回帰としての生き方は、過去の苦悩をどう捉えるのか? その鍵は、出来事に対する「心情」にあるのではないかと、この作品を観て感じた。

 

出来事には2つある。「出来事そのもの」と「解釈としての出来事」だ。後者が意味するのは、ABC理論や実存主義において重要となってくる考え方である。人間は「出来事そのもの」からうれしさや悲しみという感情が生まれるのではなく、「出来事に対する解釈」によって感情が生み出される。すなわち、過去や未来といった時間軸ではなく、「いまこの瞬間」からの捉え方が重要となる。

 

無論そのようなことを述べたとしても、自身の気持ちをうまくコントロールするのは難しい。しかし現実をカッコ付きの風景として捉え、自身のいま、その瞬間を捉えようとする姿勢は有効だ。マインドフルネスの気づき、つまり思考の囚われからの脱却と一緒である。それがこの物語の根幹を担うゴーストの存在意義だ。永遠な存在であるゴーストにとって重要なのは、繰り返されるであろう未来や過去に対しての意思ではなく、その瞬間において何かを捉えようとする意思なのだ。これをどうシーンで説明するか?

 

物語前半にやたらと長い、それゆえに印象的なシーンがある。男女が向き合いながら寝ているシーン、あるいは悲しみに打ちひしがれながら女性がパイのようなものを食べているシーンでもいい。または庭で女性がモノをひたすら運ぶ姿がある。はじめは観客にとって、無意味で退屈なシーンにしか感じられないだろう。

 

しかし、永遠な存在であるゴーストが現れた時、それは瞬間としてのシーンに変わる。永遠と対比された、彼・彼女らの瞬間としての感覚を知った時に、それら風景に対する感じ方は変わる。時間というものが、一主観性を帯びた何ものかであるということに気付かされるからだ。すなわち私の退屈さ、という感情も一つの傲慢さにしか過ぎない。出来事に対する心情は、やはりいつでも覆される。あらゆる瞬間を永遠に生きることのできるゴーストにとって、あのワンシーンはきっと美しいはずだ。

 

瞬間と永遠との違いは何なのだろう。それは、今ある生とそれがいずれストーリーとして語られる際の、解釈に対する問いかけでもある。ゴーストが経験している永劫回帰としての世界の総体は、一つの解釈を絶対として認めてしまうような負の感情に対してのアンチテーゼとなる。これはある登場人物が力説していることでもある。そして、目前にあるどのような人生の選択に対しても、仮にそれが永遠に繰り返されたとしても恥じぬような意識を持てということ。それが、主体的に生きるということだ。

 

 

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