感想『ニック・ランドと新反動主義』から読む創造の力

2019年6月5日

レイ・カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生』(翻訳本)を私が貪るように読んだのが2007年。あれから12年。ディープラーニングやVRなどの書籍は、今や過剰というくらいに書店に並んでいる。「シンギュラリティ」なる言葉が今こうして広まっているのは、カーツワイルの予測が的中し続けているからではない。それは未来を展望する人々が、その信念に基づき行動しているからである。ありきたりだが、未来はただやって来るのではなく創られるのだ。2010年、カーツワイルが電子書籍閲覧ソフト「Blio」を発表したのはまさに知に対する思い入れであろうし、2012年、彼はグーグルのエンジニアディレクターとして就任した。『ニック・ランドと新反動主義』からは、どんな信念が読み取れるのであろうか?

 

ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想 (星海社新書)

 

 

シンギュラリティと二元論

 

シンギュラリティは、技術的な段階を追って知が宇宙全体を包み込むというユートピアである。その魅惑的な要素の一つとして、自己と世界を分け隔てる認識の問題が存在することも挙げられる。100兆をも超える腸内細菌を有する私の身体。一体この身体のどこまでを自分自身であると言い切れるのか。将来ナノロボットが体内を循環し健康を保つような時代が来た時に、現実的な問題になるだろうとカーツワイルも暗示している。このような問題、自己と身体による2つの世界の断絶は、近代以降、二元論という極めて抽象的な問題として議論され続けてきた。

 

二元論は特に哲学史において、カントやフッサールが提唱したような超越論の系譜として描かれる。超越論哲学は、人間が決して認知することのできない世界を想定するが、この「物自体」と呼ばれる概念によってカントは人間の認識の絶対性を否定した。ゆえにすべてを知ることができるという傲慢な意思をも不可逆的に退ける。相対主義としてのポストモダンおよび現在の潮流である社会構成主義は、こうして現代へとやってきた。

 

 

背景としてのリバタリアニズム

 

そのような重く硬い哲学的志向性を突き抜けて、現代に希望をもたらそうとするのが「新反動主義」や「加速主義」と呼ばれる思想なのだろう。未来に訪れるであろうシンギュラリティの観点から未来を捉え、そこに現代社会を導こうとする。むろんその語り草は、思想や技術論だけでは飽き足らず、音楽などのポップカルチャーへも(としても)波及したというわけだ。それは、ジョブズを魅了したカウンターカルチャーが世相に深く反映していたのと同じだ。『ニック・ランドと新反動主義』には多くの人物や、その人物に影響を与えた思想が記述されている。そして、その鍵となるのがリバタリアニズムだ。

 

カウンターカルチャーについてはこちら(かなり前のブログ)

『ウェブ×ソーシャル×アメリカ<全球時代>の構想力』を読む

 

リバタリアニズムは自由を目指す思想である。自由の本質は不可知だ。しかし自由であろうとするその信念において社会を構成していこうとする。リバタリアニズムと他の思想を分け隔てるその特徴は「人格的自由だけでなく経済的自由の尊重をも説く」(p.60)点にある。このような思想はポリティカル・コレクトネスによる平等志向をも排除する。そしてその延長で世界を捉えるとするならば、格差社会が広がる経済的観点においても、当然国家による介入は認めない。『これからの「正義」の話をしよう』でマイケル・サンデルがリバタリアンを批判したのは、そこに倫理の問題が存在すると考えたからだ。

 

無論現代は国家のみにあらず、GAFAによる独裁をも超越する「何か」を模索しているようにも感じられる。リバタリアニズムは倫理の問題をどのように乗り越えるのだろう。例えば暗号資産(仮想通貨)がリバタリアンに支持される理由は、経済的自由を尊重した思想がテクノロジーによって構成できるという展望を与えてくれるからだ。PayPalを立ち上げたピーター・ティールはリバタリアンとしてのその気質から、早くから電子マネーの本質を掴んでいた。彼が個人間サービスを立ち上げたのは、ブロックチェーンを開発したナカモト・サトシの思想と変わらない。彼らは倫理を乗り越えることではなく、倫理自体の必要性を「非中央集権」なる技術で排除した。自由は倫理が無くても構成できると考えた。

 

 

選択と創造をめぐって

 

著者(木澤 佐登志 氏)は『ダークウェブ・アンダーグラウンド』という書籍も上梓している。そのような書籍やネットの記事を読んでいると、現代のウェブテクノロジーが志向するその背景には、他者の存在を不可知と捉え、とりわけサイファーパンクのようなプライバシー保護としての技術的発展が顕著に見受けられる。自己とウェブ空間は、いずれWebAuthnのようなパスワードレスの発展によって、よりステートレスな関係で結ばれるようになるだろう。人は気づかぬうちに自己を証明し、ネットに常に接続された状態で活動するようになる。Appleが独自のクレジットカードを発表したが、個人情報を極力保護するとあえて宣言したのも、このような時代の変遷によるものだ。

 

一方、中国では信用スコアのようなテクノロジーによるパターナリズムがはじまっている。むしろ日本における電子マネーの加速度的なベクトルは、それら「中華未来主義」の方向を指しているのだと考えるべきだろう。このような中で私たちはどのような主義主張を選択し、創造力を働かせるべきだろうか。

 

関連ページ

『キャッシュレス覇権戦争』から読む信用スコアとWeb3.0への潮流

 

 

 

参照ページ・文献


 

著者(木澤 佐登志 氏)のブログ 『ニック・ランドと新反動主義』 & 最近の仕事と活動

 

著者による文章は 現代ビジネス でも読める。

 

中国の「爆速成長」に憧れる〈中華未来主義〉という奇怪な思想

 

 

 

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