映画批評『世界の涯ての鼓動』/映像の対位法

2019年8月26日

少し前に『存在のない子供たち』を観た。主人公である少年は中東のスラム街に住むが、身分証明書もなくただただ生きるために奮闘する。悲劇に見舞われた妹を救うべくストーリーが、まるでドキュメンタリータッチに描かれているという点において特筆すべき作品だった。

 

その作品の主題を捉えようとする際に、裁判所で少年が両親に向けて訴えた、この世界に「僕を生んだ罪」という怒りや不安に対して、我々は一体何を学んだら良いのだろう。

 

そこで私が真っ先に感じたこと、それは人生には大きな目的が2つあるということだ。幸福への追求と、宇宙への探求である。幸福の追求とは学問的に言えば哲学や倫理学、経済学が当てはまる。宇宙の探求とは、物理学もさることながら生物学、数学などのカテゴリーが入る。文系と理系と言ってしまえばそれまでだが、無論『存在のない子供たち』から受ける印象は、幸福な社会を目指し生きるための、強烈な希求としての感情だ。

 

 

 

 

愛という言葉から生まれる認識を、単純に『世界の涯ての鼓動』にオーバーラップさせてしまうと、作品に対する評価は下がる一方だろう。なぜならこの作品には愛ではなく、平和という幸福と生命の起源に対する人生の態度こそが描かれているのだから。前者は、ソマリアでテロを阻止するジェームズ。後者は生物数学者で深海へ潜ろうとするダニーの物語だ。ダニーが同僚から、生命という形而上学的なテーマに対して「彼(ジェームズ)は理解できる?」と尋ねられているシーンが印象深い。

 

原題である『SUBMERGENCE』、つまり「潜水」という言葉のもつテーマ性にはあらためて感心させられる。アルフォンソ・キュアロンの『ゼロ・グラビティ』の原題がよりシンプルな『Gravity(重力)』であったのと同様に、最終的なシーンに近づくにつれてそれらテーマに収束していき、ある種の多幸感に包み込まれていく。クリストファー・ノーランによる『ダンケルク』を例に挙げても良いだろう。その作品は、起伏や展開を意図的に削ぎ落とすことによって、すべてがクライマックスであるかのように構成された。

 

『SUBMERGENCE』も同じような構造を持つ。彼ら彼女らにおける愛という認識の抽象度が、意図的に平和や生命に対する探究心に高められることによって、日常性としての感覚が徐々に削ぎ落とされていく。海の5層に関する二人の対話が、まるで深層意識やペルソナを暗示しているかのような演出がなかなか憎い。物語は底へ底へと沈んでゆく。

 

映像表現の対位法。戦地と深海というかけ離れた場所のカットバックも素晴らしいが、二人の場所が交互に重ねられるシーン、例えば階段が印象的に使われているシーンなどを観ていると、それらがある種の変性意識のようなものとして感じられてしまう。主演の女優がナタリー・ポートマンに似ているからか、テレンス・マリックの『聖杯たちの騎士』のトレイラーをも想起してしまう。あらゆる光景が、過去もしくは心のイメージによって構成されているという点が共通しているからだろう。

 

映像に没頭することによって、本来あるべく自我の存在を忘れてしまう。他の趣味や芸術、もしくはスポーツなどでも得られるようなこの感覚は、例えば人生において大きな目標を強く想い描いた時にもやってくる。未来への強い希求は、まるで催眠術のように、今いる現実を書き換える力を持つからだ。正確には自己認識としての方向性が書き換えられる。ビジョンを強く思えば、いまやるべきミッションが明確化し、また目の前の風景も変わるだろう。それは『SUBMERGENCE』の主人公たちの意識そのものだ。

 

いわゆるクリント・イーストウッドの黄昏時に飛ぶような作品に食傷気味ならば、同じく決して若くはないがヴィム・ヴェンダースによるこのラディカルな作品も、見方によってはスピリチュアルではあるけれど、大きな志向性を持てという意味においては、やはり限りなく泥臭く人生讃歌に近い映画だ。

 

 

関連ページ

『15時17分、パリ行き』の中の『未知との遭遇』

 

『聖杯たちの騎士』/存在と時間と物語

 

 

参照文献


 

「第三章 トリップ・レポート」 知覚と世界に対する創造性を別の側面から、すなわちドラッグから探求する人々がいるという事実において、大変参考になった。カウンター・カルチャーなどの文化や、また現代のドラッグ問題を知る上でも読んでおくと良いだろう。もちろんタイトル通りに、ラディカルな思想を実践する人々がいるという点においても。

 

ラディカルズ 世界を塗り替える<過激な人たち>

 

 

 

 

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