知覚の扉を巡って/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

2019年9月7日

むかしむかしのハリウッドで、幸福としての彼岸を味わう。現実世界へようこそならぬ、タランティーノによる想像の世界は、過去という現実に対するオルタナティブ=反主流を提示する。そこに見出すべきなのは、物語によって「知覚の扉」を開けよというメッセージなのだ。

 

 

 

 

『知覚の扉(The Doors of Perception)』は、ディストピア小説の金字塔『すばらしい新世界』の著者オルダス・ハクスリーが、幻覚剤であるメスカリンを体験した手記(1954年)である。60年代半ばから70年代初頭にかけて活躍したロックバンドである「ドアーズ」という名前は、その手記から付けられたことで有名だ。「知覚の扉」という言葉自体は、ハクスリーがウィリアム・ブレイクの詩「天国と地獄の結婚」から引用したものだ。

 

幻覚剤は、ハーバード大学の心理学者であり人格について研究していたティモシー・リアリー(1920〜1996年)にも影響を与えた。「Turn on, Tune in, Drop Out」。意識を拡大し、世界と調和し、脱却せよ。リアリーが残したこの言葉は、カウンターカルチャーを象徴するスローガンとなった。この言葉は必ずしもLSDのような幻覚剤を推奨するだけの表明ではない。それは、自己と世界の境界に感覚を研ぎ澄ませ、創造性への希求を高めることへの態度、人生の幸福を追求する意味でも繰り返された。

 

クリフ(ブラッド・ピット)がキャデラックに乗って行き交う街の風景に心を奪われてしまう。60年代後半への懐古主義のみならず、スクリーンいっぱいに映し出されたあの眩しさは、サイケデリックな心象ではなかったのかと印象付けられる。

 

保守的な志向を持つが、対照的なふたりの登場人物がいた。ヒッピーに嫌悪感を抱き演技にとてもストイックで過去の栄光から抜け出せずにいるリック(レオナルド・ディカプリオ)。そして、戦争を体験し悩みはすべて過去へと葬り去ったかのようなクリフがいた。一方物語の彼岸には、不穏な空気を漂わせるコミュニティ、マンソンファミリーが存在する。そんな人物たちのいる世界で、ある一つの終末がハブとなって物語が構成される。

 

彼ら彼女らを見ていると、洗脳と創造は紙一重であることがよく分かる。事実、心理学的にはどちらも変性意識の上でおこなわれる。カメラの前で、もしくは鏡の前で問答するリックの姿。少女によって勇気付けられることとなるあの素晴らしい演技を目前にすると、セルフ・エンライトメントを超えた奇妙な高揚感に囚われる。自己洗脳と、極限としての演技に違いはあるのだろうか。

 

冷戦時代を背景とした洗脳技術としての研究は50年代から60年代に盛んとなった。やがて過去や現実に対する認知的手法は、大雑把ではあるが、社会構築主義からナラティブ・セラピー、そしてマインドフルネスといった変遷を辿ることとなる。シャロン・テートが映画館で自分の出演作品を楽しむ姿は、いまあの瞬間が過去への抵抗として映るからであり、そのように物語を紡ぐタランティーノの手腕は実に見事だ。映画を通した意識の拡張は、現実=社会に対する解釈だけではなく、過去に対する抵抗装置としても観客の目前へとやってくる。

 

ティモシー・リアリーはやがて意識の行方をサイバースペース、すなわちコンピュータによる拡張へと態度を変えた。資本主義へのうっぷんを晴らすべく、リバタリアニズムとしてのテクノロジー追求が、その後カルフォルニアという街とともに生まれたきたことは周知の通りだ。物語の先に続くであろう70年代のアメリカン・ニューシネマとしての反体制としての流れも、現代の統治と抵抗という認識においては、未だにリアリティーを持ち続ける問題だ。そんな時代の中で意識の開放を巡り、歴史の泰然性と人生の高揚を楽しむにはこの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はうってつけの作品だ。

 

 

参照文献


 

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか   知覚の扉 (平凡社ライブラリー)  ラディカルズ 世界を塗り替える<過激な人たち>

 

 

 

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