道具的合理性とは何か?/『幸福な監視国家・中国』

2019年10月10日

多くの人は犯罪を抑止することができれば、監視システムを受け入れざるを得ないと考える。それと同様に、国民の道徳心が向上するのであれば、信用スコアによる個人の格付けにも何かしらの徳があると考える。むしろ個人情報を多く登録することによって、より多様なサービスが受けられることがわかると、積極的にそのシステムを受け入れる。

 

幸福な監視国家・中国 (NHK出版新書)

 

 

著者はそのような人々の態度を功利主義と捉え、人間が幸福であることの意味を問う。功利主義とは出来事の帰結に重きを置いた思想で、物事の正しさを行動の動機そのものではなく、その結果において計ろうとする志向を持つ。

 

このような視点は、フィリッパ・フットが提言したトロッコ問題でも有名だ。すわなち命の価値は人数によって計れないとするカント的な義務論と、5人を救うためならば1人の犠牲はやむを得ないとする功利主義との対立を示した思考実験である。上述の例で言えば、道徳もしくはサービスの向上という結果において幸福な社会を実現しようとするシステムは、とりわけ後者の見方に近いことがわかるだろう。

 

道具的合理性とは?

 

しかし、そのような方法による幸福の増大は「道具的合理性(instrumental rationality)」の延長にしかすぎないと筆者は考える。道具的合理性とは、ある目的を遂行する際に効率性そのものを追求する態度のことである。これは『社会学の根本概念』でマックス・ウェーバーが述べた行為の4類型の一つ「目的合理的行為」という概念と一致する。一方、目的の遂行ではなく、目的そのものの意味を問う姿勢がある。これを「価値合理的行為」、もしくは本書で述べているように「メタ合理性」と呼ぶ。

 

これら合理性の違いについては、キース・E・スタノヴィッチが『心は遺伝子の論理で決まるのか』で取り上げたようなチンパンジーでの例えがわかりやすい。チンパンジーが棒を使ってりんごを取ろうとしている。はじめは短い棒で突いていたが、長い棒と交換することによって、チンパンジーは無事りんごを口にする。これが道具的合理性としての遂行だ。では人間とチンパンジーとの違いは何か? それは、人間は「何故りんごを取ろうとしているのか?」という、目的の意味そのものを問うことができる存在であるということだ。

 

『アナーキー・国家・ユートピア』でロバート・ノージックは、思考実験である「経験機械」について記述しているが、この概念も功利主義が捉える幸福としての価値に意義を唱えたものだった。あらゆる快楽の世界に浸れる機械があったとして、それでも人は最終的に、なぜその機械に接続されることを拒むのか? とりわけ映画『マトリックス』で、ネオ(キアヌ・リーブス)がなぜ赤いカプセルを選んだのかを思い返しても良いだろう。これらの例によって、人間は快楽の追求だけではなく、自己そのものの意義を求める存在であるということが示される。

 

上述してきたように、「道具的合理性(目的合理性)」もしくは「価値合理性」の2つのモノサシは、人間の幸福に対する認識を語るのにとても魅力的で、かつ功利主義を攻撃してみせるのにとても便利な道具である。しかしその反面、科学技術しかり企業の経営しかり、「道具的合理性」こそが、それら目的と人間の実存を切り離し、この世界を進歩させてきたことも確かだ。

 

無論ウェーバーが考えたことは、資本主義としての神無き(価値合理性無き)世界において、いかに人間社会は形成されるのかという問いかけであったし、ニーチェはむしろ価値合理性を求め過ぎることへの喪失を唱えたと言っても良い。映画『ジョーカー』のアーサーは、道具的合理性としての社会を必然的な世界と捉え、そこから湧き上がる悪を価値合理性と見なす実存的存在へと変貌したのであった。

 

ただ一つ言える大事なことは、システムを構築し使い慣れるだけではなく、その意味自体を問いかける言葉と機会を、人はいつでも取り出せるように準備しておくことだ。

 

 

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参照文献


 

社会学の根本問題―個人と社会 (岩波文庫 青 644-2)   心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

 

 

 

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