人間の行動を、データ処理の視点において捉えていくような技術のことを「行動情報処理」という。かつてのサイバネティクスや行動主義(Behaviorism)も行動を情報として捉えていく姿勢は同じだが、本書のタイトルでもあるこの技術との違いは、やはり大量のデータをコンピュータで解析できるようになった点だという。
データを分析すれば自ずとパターンが見えてくる。それは「データ中心科学(Data Centric Science)」とも呼ばれている。データマイニングよろしく、人工知能などのニュースで話題となるディープラーニングもこの部類に入る。
行動主義と認知科学の間で
認知主義(Cognitivism)は、人間の学習過程をコンピュータなどの仕組をメタファとして記述していこうとする考え方のことで、過程ではなく行動の結果に焦点を置くような行動主義とは相反する思想として捉えられてきた。しかしデータ中心科学の立場においては、それら2つの主義主張の垣根はもはや意味が無いのかも知れない。
例えば、人の運転における「行動の個性」は「入力と出力の比で特徴づけられる」(p.34)。入力とは周囲の環境からの影響のことで、その影響に伴い、人間は出力として様々な行動をとっていく。もちろん、人間の入力に対する出力は常に同じというわけではないが、適切なデータの規則に着目すれば、その人個人の運転における個性が顕在化してくるという。そして、その個性を安全のためにフォードバックしていこうというわけだ。
たとえ仮定の計算理論を通しての結果であったとしても、それが現実的に利用できるとなれば、上記で述べたような主義主張への見方もまた変わってくるだろう。
現在続々と「人工知能」の本が上梓されている。行動データを解析しそれを活用していくという過程は、たんに観察対象であったはずの人間の生き方さえも変えていきそうな勢いである。そして、それがまた新しいことだと言えるのは、たんに技術の面においてではなく、著者も指摘しているように「行動主義の人間理解と認知主義の人間理解の両者が一体となった知能の創出を可能にすることを意味する」(p.3)という志向性によるものではないだろうか。
詳しい目次はこちら
共立出版ウェブページ